■ 代表 杉田 健彦

【略歴】
1958年生。東京大学卒業後、24年間外資系コンピューター会社 日本IBM株式会社に勤務。理事まで勤めて退社後、2011年カンボジア法人Cedar Farmを設立。2013年からカンボジアに本格移住して農園経営に従事。
カンボジアでの農園の立ち上げからの苦闘の生活についての過去のブログ は以下からご覧いただけます。

 

■ カンボジアでの活動がテレビで紹介されました。


出典:テレビ朝日「世界の村で発見!こんなところに日本人」

■ カンボジアに来た理由とこれからやりたいこと

 私は、1983年に大学卒業後外資系コンピューター会社の日本IBMに入り、24年間務めました。この間システムエンジニア、プロジェクトマネージャー、開発部門長として、特に自動車の本田技研のほとんどの基幹システム開発に参加し、毎日午前様で働きました。

 2006年には新聞でも報道されましたが、日本IBMの業績が傾き、立て直しのためにアメリカ本社から多くの役員が「進駐」してきて、組織や顧客との仕事のやり方をドライなアメリカ式に改めました。

 このアメリカ方式の為にトラブルが多発し、私はこの時750人の開発部門長でしたが、日本ではこのやり方は通用しないと反対して退社しました。

 その後数年間は別の会社に籍を置きながら第二の人生の仕事を模索しました。熱帯の農業に興味があったこともあり、IBM時代に出張して土地勘のあったタイや、その隣のカンボジアで天然ゴム農園への投資をしたりしました。

 カンボジアは農業国で大半が農民ですが、「お金、物、ノウハウ」がないので品質の高いものが中々作れず、収量も上がりません。一部良いものがあっても海外にマーケティングする力がなく輸出できません。その結果農産物は買い叩かれて、多くの農民は貧しいままです。

 例えば、せっかく良いお米やタピオカを沢山作っていますが、自力で輸出できずタイにお米を安く運んで「タイ米」、ベトナムにタピオカを安く運び「ベトナム産」で海外に出しています。

 私は2012年にカンボジアで特産のカンポットペッパーに出会い、「これまでの胡椒と全く違う」、と衝撃を受けました。

カンポットペッパーは、1960年代までは世界的なブランド品でしたが、ポルポトの内戦で荒廃し、21世紀になってやっと復活し始めたところでした。

 出会った当時は、せっかくいいものなのに、資本と技術が不足で収量が上がらず、できた胡椒もフランスや他のヨーロッパのバイヤーに、(日本の農協にあたる)カンポットペッパー協会の決めた値段より安く買い叩かれていました。

 非常に残念な状況でしたが、それなら日本から「お金、ノウハウ」を持ち込んで増産し、またカンポットペッパー協会の適正価格での輸出も増やせれば現地にも貢献できるのではないか、第二の人生の仕事にふさわしいかもしれない、と思い至りました。

2013年から本格的にカンボジアに移住して、カンポットペッパー農園を開きました。

 カンポットペッパーは、クメール種という味と香りに優れているが、病気に弱く収量が低い品種に、カンポットペッパー協会で規定されています。当初は私が農業の素人だったこともあり、病気や天候不順で収穫量が半分になったり、木が枯れたりといったトラブルが相次ぎました。

 また、ポルポト時代の内戦によって社会の倫理観が全く崩壊してしまったため、盗みが横行しています。うちの農園もカンボジア人マネージャーが、収穫後の多量の胡椒とともに蒸発した事件があり、経済損失だけでなく、人間不信にも陥りました。

 これらの結果、2016年には経済的にも精神的にもどん底の状態になり、撤退も考えました。ただ、どうしてもカンポットペッパーをあきらめられなかったこともあり、寝ても覚めても打開策を考え続けて、まず、首都プノンペンから農園のあるカンポット市に移住しました。農園の近くに住み、現場で栽培方法や盗み対策などの改善を続けるようにしました。

 残念ながら、現場を任せるカンボジア人のマネージャーも、これまで企業そのものが少なかった為に育っていません。このため自分で現場に入って逐一細かく確認して改善することが必須になります。

 現地に本当の専門家もいない為、自分で農業大学の教科書を読み、日本から農学博士に来てもらって教えを乞い、現場で試しながらノウハウを蓄積する毎日でした。現場マネージャーは、農業大卒の若手を雇って、現場で手取り足取りしながら育てるしかありません。

 この時から還暦を過ぎた現在も農園の40℃の炎天下で、カンボジア人たちと共に汗を流しています。

 さて、カンボジアには胡椒のほかにも、日本にない熱帯特有のすばらしい農産品が多いのですが、まだ日本では知られていません。そこで、2017年には日本で販売会社「シーダーアグリビジネス合同会社」を設立し、カンボジアの農産品の日本マーケットを開拓する挑戦を始めました。

 例えば、サプリ原料の黒生姜はタイでは「クラチャイダム」と呼ばれ、数百年前から滋養強壮、アンチエイジング、やせる効果で飲まれてきました。私も2016年から山奥で栽培に挑戦して、日本のサプリ原料メーカーに輸出しています。(日本の大手サプリ原料メーカーでは、黒生姜から「痩せる」成分を抽出する特許を幾つも取得しています。)

 それ以外にも、必須アミノ酸を全て含むモリンガや、血糖値が上がらない砂糖パームシュガーなどこれからの日本の高齢化社会に必要な健康志向の農産品が多々あります。

 これからも、胡椒を始めこれらの農産品をカンボジアで増産し、適正価格で日本に輸出することで、カンボジアの農民に少しでも貢献し、日本のお客様にも安心・安全で喜ばれることを目指して、老いてまだまだ夢の途中ですが、農園で日々汗を流していきたい、と考えています。