農園立ち上げからの苦労の生活についてご覧いただけます。生産者が当時使用していたlivedoorブログから引っ越ししました。
TV出演して考えたこと
2016年10月11日
9月20日にテレビ朝日で放映された「こんなところに日本人」に出演しました。
出演の目的は、主にはTVで宣伝してもらってビジネスに役立てようという下心からです。
現地取材で延べ5日間拘束されたのですが、実際の放映時間はわずかで、内容も極端にシンプルに類型化されてまとめられていました。
現地では、担当のディレクターさんに、苦労談など大分深い話もしましたが、大半カットされていました。
何故かな? 民放だからかな?などと思っていましたが、ふと、ディレクターさんが何度も何度も「何故カンボジア何ですか?」と聞いてきたことを思い出しました。
「ビジネス上有利だからですよ」という内容をその都度答えましたが、「何でそこまでしてビジネスするんですか?」と聞かれて、上手く納得させられませんでした。
恐らく、視聴者が知りたいのもそこのところで、それが番組スタッフに十分には伝わらなかったので、ありがちのパターンにまとめたのではないか。
さて、番組を見ていただいた同級生や、かつての同僚、知人から多くの暖かいコメントを頂きました。
最高齢は、97歳の母のいとこが、偶然テレビで見て母に電話をくれましたが、そのコメントに驚きました。
「杉田先生が70数年ぶりで出てきたようにそっくりだねえ。」
「杉田先生」というのは、母の父で千葉高等師範の教授でしたが、戦時中に上海の大学に赴任して、戦争末期のどさくさのため40歳で亡くなりました。
当然、私も会ったことが無く、ほとんど印象がありませんでしたが、急に祖父を身近に感じてしまいました。
「何でカンボジアなんですか? 何でそこまでしてビジネスするんですか?」
そう言えば、爺さんは何で戦争のひどい時期に、わざわざ危険な上海なんかに渡ったんだろう?
祖父には祖父の理由があったと思いますが、勿論私にはわかりません。ただ、何かその奥底の情熱が分かるような気がしてきました。
もっとも、私はカンボジアで客死するわけにはいきません。むしろTV出演を最大限に活用させてもらいます。。
今年の生姜収穫と植付の顛末
2015年6月18日
前回の記事の続きです。昨年植えた生姜は1月下旬に地中で一部が枯れてきたので、急いで収穫して、2月に種生姜として再度植え付けました。
この間約1か月、毎日炎天下の農園に張り付いて、インプラント手術の痕が膿んで顔が腫れ「コブ取りじいさん」の様な顔になりながら、植付を進めました。(ここまで前回の記事)
2月下旬に植え付けが終わり、ホットしたのも束の間、今度はすぐに水の手当に追われました。
生姜は植付直後は特に大量の水が必要です。地中の生姜の表面全体に十分な湿り気がないと、発芽せずに枯れてしまいます。
今年は植付面積を拡大したので、2月の植付中に井戸を追加で掘りました。昨年までの常識では、この井戸追加で十分な水が得られる予定でした。
しかし、一部の畑では水が十分に地中の生姜まで届きません。下の写真は水やり後に掘り返して、水がどこまで届いているかを見た様子です。
黄色の矢印が地表面で、湿っています。一方、白矢印は地表から数cm下の部分ですが、水が入っていません。この様に、昨年と同じ水のやり方では水が十分な深さまで入って行きません。
「生姜の専門家」の話では、この水の入って行かない場所は「まさ土」という土質で、乾燥するとセメントのように固くなり、水をはじいてしまいます。
確かに、乾いても固くならないように燻炭を加えてはいますが、前回の記事のように2月に急遽植えたために、十分な燻炭の準備ができていませんでした。
そこで、至急もう一本の井戸堀を掘って、更に多くの水をやることにしました。そこで、業者に発注するのですが、待てど暮らせど農園に来てくれません。「明日行きます」でドタキャンの嵐です。
エルニーニョ現象のお蔭で、カンボジア中で乾季に大変な水不足に陥り、あちこちから井戸掘り業者が引っ張りだこになっていたためです。
仕方がないので、井戸が掘れるまで既存の全ての井戸から水を24時間汲み上げて、十分に水の入って行かない場所に集中的に撒きました。
3月の下旬にやっと井戸掘り業者が来てくれて、やれやれと思いましたが、またまた問題が発生しました。
2月に、コブ取り爺さんになって植えた生姜の芽の出方が悪いのです。やはり水の入って行かなかった場所は極端に悪い結果です。
2月の連日炎天下の悪戦苦闘が報われない結果となり、一時呆然となりました。不運の連続に、お祓いをしたいような気分にもなりました。
どうしたら良いのか? 2月の植付分が上手く行かなかったので、このままでは収穫量は少なくなり、売り上げも不足します。「播かぬ種は生えぬ」なので、どう考えても、芽の出なかった分を補てんするための再植え付けが必要です。
しかし、芽の出なかった場所に再度植え付けても、同じやり方では結果は同じになるでしょう。
「生姜の専門家」の日本人の方々は、「まさ土」なので、大量の燻炭等で土質改良するしかない、と仰います。
しかし、本当に土を改良するためには、莫大な量の燻炭等が必要になり、時間的にも、費用的にも現実的ではありません。
数日考え込んで、中々眠れない日が続きました。ある時、ふと気が付きました。「今まで自分は「専門家」に頼って、自分であまり考えずにそのガイドに従ってきた。しかし、「専門家」もほぼ教科書どうりのことしか言わず、現実的な解決策が出てこない」
「それならば、自分の頭で解決策を考えるしか外に道はない。」と自分の思考停止を反省しました。
すると、薄々気が付いていた現象が頭に浮かびました。
水の入って行かなかった場所では、最初は1畝に1株を植える1条植えをしていましたが、途中から土地の節約のために、1畝に2株植える2条植えに変更しました。
ところが、1条植えに比べて2条植えの芽の出方が極端に悪いのです。
1条植えの方が水が地中に入りやすい、と言うことですが、何故か?
すごく下手なポンチ絵で恐縮ですが、上の図の左は1条植えで、種生姜が1つ畝の中心に植わっています。畝のトップは少し平たいので、水をかけると、水がある程度は中心部分に留まり、やがて地中に入って行きます。
図の右は2条植えで、生姜が2つ端近くに植わっています。水をやっても畝の下にすぐ流れ去ってしまい、地中に入りません。畝の形が凸型になっているためです。
下の写真は2月の植付の様子です。黄色矢印の黒い(燻炭の)部分に生姜を植えていますが、畝のトップがこの形では、水をやってもすぐ流れ去ってしまいます。
それでは、いっそのこと畝のトップを凹型にすれば、水が流れ去らずに留まって地中に入るはずです。
極端な話、畝を作らずに、逆に穴を掘れば水は確実に溜まります。しかし雨が多い時期の水はけを考えるとやはり畝は必須ですから、畝のトップ部分だけを凹の形にすべきです。
芽が出た後の雨が極端に多ければ、凹型の一部を切って水が流れ出るようにすれば良いわけです。
芽の出なかった原因は、土質の問題もあるが、主には畝の形が悪かったためでした。「生姜の専門家達」の教える普通の畝では、ここの土質に合わなかったのです。
そこまで考えが至ると、現実的な解決策が見えてきました。畝のトップを凹にして、更に畝の生姜の根が太る部分に出来る限り多くの燻炭を入れて、土質も柔らかくします。
実際には、下の写真の赤い円内のように、畝の上部をへこませて、生姜をその凹みの中に植え、生姜の周りに水が溜まるようにします。
この様に、4月下旬に再植え付けを行い、結果を固唾を飲んで見守りました。
結果は、植えてすぐに表れました。通常よりも早く多くの芽が出て元気よく育ち始めました。(下の写真)
後になって見てみると全く当然の結果で、つい、なぜ最初にあんな形の畝にしてしまったのかと悔やまれます。
自分の頭でしっかり考えなかったために、「普通のやり方」を鵜呑みにして損失につながってしまいました。
カンボジアでの七転八倒は続きますが、一歩一歩改善しながら進んで行きます。
半年ぶりの記事です。
2016年5月4日
約半年ぶりの記事になります。
その間日本への一時帰国もありましたが、間が空いた主な理由は、農園に張り付いていて記事を書く余裕がなかったからです。
今回の記事は、そのあたりの経緯を述べたいと思います。
1月下旬に日本への短期出張(帰国)から戻ると、昨年植え付けてまだ収穫していなかった生姜が、地中で枯れてきている、という報告が入りました。
早速帰国翌日に農園に入ると、確かに一部が地中で枯れてきています。病気ではなく、水分が抜けてシワシワになって枯れてきています。
折角、昨年3月から10か月かけて育てた生姜が、昨年末に一旦は出来上がっていたものが、1月下旬になって一部枯れてしまったことで、大きな衝撃を受け、悔しい思いで一杯になりました。
通常は、熱帯の生姜の主産地の隣国タイでも、毎年4月に植付し、種生姜にするものは1月末までに収穫するので、1月下旬まで地中に置いてあっても、枯れることは無いはずです。
この時にはすぐに理由が分からず、非常に理不尽な思いをしました。
後になって、冷静に考えると、理由は以下の点ではないかと思います。
1.昨年のエルニーニョ現象の為に雨量がかなり少なく、例年より地中の水分が少ない。特に雨季が早く終わってしまい、長期間雨のない状態が続いた。
2.昨年末頃に私が長期間帰国して留守にしている間に、雨季が早く終わった分を補う水やり作業を怠った。また、同時期に除草を怠り、雑草に地中のただでさえ少ない水分を吸われてしまった。
さて、いずれにしても、何かすぐ手を打たざるを得ません。弊社の「農業専門家」の社員も、日本人の「生姜の専門家」も、「すぐに掘り出せ」といいます。
確かに、乾季に入って数か月間一滴も雨が降らず、地中はカラカラに乾いており、連日灼熱の太陽に照らされて地中の温度も高い状態が続いています。
このまま地中に放って置いても、生姜から水分が抜ける一方です。すぐに掘り出すことに決めました。
翌日から弊社の胡椒農園からもマネージャー以下20人に来て貰い、更に大量の日雇いワーカーを動員して収穫作業に入りました。幸いなことに2日間で収穫を終えることができました。(下は収穫風景)
ホットしたのも束の間、収穫した生姜を見ると、既に芽が出始めているものが多数あります。
通常は、一旦収穫して乾かして暗所に最低1か月置いてストレスを与えると、種生姜として芽が出る状態になります。
今回は、地中で散々乾かされてストレスを受け、芽が出る状態になり、既に発芽しかけていると考えられました。
それで、「専門家」達の意見も「すぐに植付すべし」というものでした。
確かに、収穫したものを保管しても更に水分が抜けて弱る一方です。一刻も早く植付して、十分な水を与えて育てるべきだと判断しました。
そこで、収穫完了の翌日から直ちに植付作業に入りました。そうは言っても通常の植え付けは4月前後に行うので、収穫が終わった2月初めには、準備がまるで整っていません。
生姜の連作はできないので、農園内の新しい土地を準備して植付ますが、これらの土地は開墾し終わったままで、土作りの作業も遅れて、できていませんでした。
また、植付の際には大量の燻炭、稲わら、牛糞堆肥、米ぬかなどが必要です。特に燻炭はモミ殻を燻して作りますが、まず百トンものモミ殻を集めるのが大仕事です。近所の精米所を回ってトラックでピストン輸送を繰り返します。
今度は、運んできたモミ殻を小山に積んで真ん中に煙突を立てて燻します。一回燻すのに1-2時間かかるので、中々はかどりません。
また、稲わらも近隣の農家を回って、1件1件交渉しては掻き集めます。燻炭と稲わら集めは、実際には自転車操業で、何とか当日午前中の植付作業に使う分を、前日の夕方に掻き集める状況でした。
植付地は、トラクターで数回耕運して、畝を作り肥料、燻炭を入れて種生姜を植付、更に燻炭、土をかぶせ、その上から稲わらを敷きます。
一刻も早く植え付けるために、出来る限り多くの日雇いワーカーをかき集めて、複数の畝で平行して作業を行いました。
しかし、文字通りの寄せ集めのワーカーなので、作業の品質が中々上がりません。ある作業工程をやっと覚えてもらったと思っても、日雇いなので翌日には来ずに、別のワーカーに代わってしまいます。
また、連日35℃以上の炎天下の作業の為、目を離すといつの間にか休憩していることもたびたびです。
そこで、ワーカーの間近で、マネージャー達が作業を監督して、作業方法を教えたり、工程間でスピードの差が出た場合に要員数を調整したりするわけです。
しかし、マネージャー達もカンボジア人なので、炎天下を避けて遠くの日陰にいたりします。そうするとワーカーの作業品質も上がらず、ある工程の人数が足らずボトルネックとなって作業が遅れることも頻発します。
更に、段取りが悪くて、ワーカーが飲む水が現場に無くなって作業が滞る、燻炭を植え付けの畝の近くに運ばず、作業が止まる、等が多発します。
これでは、植える前に種生姜が弱って死んでしまいます。
一刻も早く植え付けるために、私が毎日ワーカーの中に入って、現場で陣頭指揮をせざるを得ない状況になりました。
私が朝から夕方の作業終了まで、ワーカーの間近で作業を見て、気が付いたことをワーカーに教えます。そうすると、マネージャー達も日陰に居られず、ワーカーの中に入らざるを得ません。(下は植付風景)
また、間近で見るとボトルネックもはっきりわかるので、すぐ改善の指示が出せます。ワーカーの水が足りない事や、疲労度合いも確認できます。
こうして、私が連日現場に張り付いたわけです。60歳近い人間が何週間も、一日中35℃以上の炎天下で歩き回っている訳ですから、体も悲鳴を上げます。1月末に行った奥歯の抜歯とインプラント移植の傷が膿んで、顔が膨れて童話の「瘤取り爺さん」のようになりましたが、現場は離れられません。
この状況に更に追い打ちをかけるようなことが起こりました。
植え付け前の種生姜を山積みしてあったのですが、山の下の方の生姜にカビが生えて枯れるものが多発しました。
理由は、日本人の「生姜の専門家」の指示で、以下の致命的な失敗を犯したためです。
1.植付まで数週間かかるのに収穫後に生姜に着いた土を洗い流してしまったこと。
2.山積みの生姜に水を掛けてしまった。水が下に溜まってカビを発生させた。
兎に角、すぐにカビは取り除き、薬で消毒し、山積みは止めて、下に水が溜まらない竹のゴザを大量にしいて、その上に低く平らに置き、風通しを良くしました。
この様に、トラブルがトラブルを呼ぶ状況で、我々のスキルや組織の未熟さと言った弱点を、エルニーニョ現象やカビなどの自然の力に一気に突かれた形になりました。
この日々悪戦苦闘の中で、ちょっとほのぼのした気持ちにさせる出来事もありました。
通常ワーカーは、決まった時間内でしか作業をしません。昼休み中の作業などはマネージャーが頼めないために、マネージャー達だけで作業することも度々です。
しかし、ある時午後の植え付けの為の燻炭が不足するため、私ととマネージャー達が昼休み中に燻炭作りをやっていると、昼休み中のワーカーが自然に声を掛け合って集まってきて作業をしてくれました。 何かテレビドラマの1シーンの様で、現実とも思えませんでした。(下の写真)
こうして一畝一畝植え付けを進めて、2月下旬に全ての植付が完了しました。
しかし、トラブルはこれだけではありませんでした。
長くなったので、次回に続きます。
天然ゴム農園もついにストップ?! その3
2015年11月20日
前々回、前回からの記事の続きです。
2011年からの天然ゴムの大暴落によって、ついに10月初めに近隣のカンボジアの天然ゴム加工工場も操業をストップし、我々の農園も採れた樹液の売り先が無くなってしまう事態になりました。
操業停止の危機に見舞われた我々は、ベトナム国境で情報を収集し、ベトナムの工場に買い付けに来て貰うことになりました。
10月14日のプチュンバン(カンボジアお盆)明けから、ベトナムの工場からの買い付け部隊が農園に来て、我々の危機は去ったように思われました。(前回まで)
一方、カンボジアゴムの価格に最も影響するシンガポール天然ゴム市場は、10月中旬から11月にかけて連日下がり続けました。(下のシンガポール市場のチャートの赤丸部分)
嫌な予感がしていましたが、果たして、11月になって、このベトナム工場が買い付け価格をいきなり20%下げる、と言ってきました。
20%も下げられたのでは利益が出ません。下手をすると、赤字になってしまいます。
この買い付け部隊と値段を上げる交渉をしましたが、売渡価格は殆ど上がりません。
我々はまたしても、操業停止の危機に直面してしまいました。私は操業停止して従業員を大半解雇し、来年4月の雨季の始まりまで冬ごもりすることを覚悟しました。
例年2月には乾季の為生産量が下がって、値段が上がる傾向があるため、4月には再開できる公算が高いためです。
この様に覚悟を決めた上で、数日間は別の道がないかを探ることにし、再度ベトナム国境で情報を集めることにしました。
買い付けに来てくれる別のベトナム工場がないのか?我々がベトナムに直接売りに行く方法はないのか?という点です。
ベトナムの工場に直接売りに行った場合、価格は20%下げられる前のまともな価格だとわかりました。但し、国境を越えるときの税金と運搬のガソリン代がかなりかかります。
しかし、ゴムは樹液に蟻酸を加えて固めるので、保存ができて採取当日に売る必要もありません。
そこで採取した樹液を溜めて、1,2日おきに売りに行くことにすれば、国境の税金とガソリン代のコストを下げられ、ある程度の利益を出すことができる計算が立ちます。
こうなれば、やって見るしかありません。11月18日に、現地マネージャーC君に2日分の樹液を溜めて、オート三輪に載せ、ベトナムの工場に売りに行ってもらいました。
農園のあるスノールの町から、国道7号線でメモットの町まで来て、国境を越えます。
カンボジア人は、ベトナムへは1日であればパスポート無で入れます。国境で税金を支払って、ゴムも無事にベトナムに入国できました。
(但し、国境での写真撮影は役人に止められてできなかったとのことです。)
国境から更に40km入ったトムという町に、工場の倉庫があって、そこにゴムを納品しました。
(下は、工場の倉庫の写真。手前に弊社のゴムを載せたオート三輪)
売った値段は、10月の20%下がる前の価格から更に20%高く、11月初めの農園での価格の何と1.5倍にもなりました。
これで、何とか操業を続ける目途が立ちました。カンボジア国内のゴム工場がストップしたために、操業停止寸前に追い込まれて、ベトナムまで売りに行くことになりましたが、結果的に却って高い値段で売れることになりました。
メデタシ、メデタシと言いたいところですが、天然ゴムの価格は当面まだ下がる可能性があり、ベトナムの工場の買取価格も今後下落の恐れがあります。
中国の景気が回復して天然ゴムの価格が上向くまでは、予断を許さない状況が続きます。
天然ゴム農園もついにストップ!? その2
2015年11月1日
前回の記事の続きです。
2011年からの天然ゴムの大暴落によって、ついに10月初めに近隣のカンボジアの天然ゴム加工工場も操業をストップし、我々の農園も採れた樹液の売り先が無くなってしまう事態になりました。
天然ゴム価格がもう少し下がっても、天然ゴム農園自体は低コストのお蔭でやっていけると高をくくっていただけに、不意打ちを食らった形になり、一瞬どうしたものかと途方に暮れました。
しかし、混乱して悩んでいる暇はなく、明日からどうするのかを決める必要があります。天然ゴム農園の操業をこのままの形で進めるわけにはいかず、何かの対応が必要です。
その時に先ず考えたのは、最悪どうなってしまうのか?ということです。
このまま長期間工場が止まるのであれば、我々の農園運営も止めざるを得ません。
しかし、常識的に考えてみると、天然ゴム生産国の中で最も生産コストの安いカンボジアで生産できなくなるとすると、一体どこで生産できるのか?世界中どこも天然ゴムを作らない、などという事態は起こるはずがない。
従って、やはりそれほど時間が経たずに工場も再開されるのではないか、というのが結論でした。
そうすると、次に問題なのは、一体いつまでこの低価格が続いて工場が止まり続けるのか?という点です。
天然ゴム価格が大きく影響を受ける中国の景気も、今年年末あたりから景気対策効果が少しは出てきそうに見えます。
また、天然ゴムは例年1月が生産ピークですが、その後乾季の為に生産が落ち2月以降価格が上がるのが常です。
その様に考えると、少なくとも例年乾季明けに主産地の生産が再開される4月には、カンボジアでも工場が再開されると予想できます。
その場合、我々の農園の取る対応としては、農園の操業を停止して従業員の大半を解雇して冬籠りに入り、来年の春に再び従業員を集めて操業再開する、ということになります。その場合でも毎月幾分かの費用は掛かりますが、耐えられない程度ではありません。
これが、起こりうる最悪のシナリオということになります。
ここまで考えて腹をくくると、落ち着いて状況を分析出来るようになりました。もうそれ以上悪い事にはならないはずなので、後はもっと状況を詳細に把握して少しでも良い方向に持って行くだけです。
そこで、最悪にまでは至らない、来年乾季明けまで操業停止しなくてすむ別のシナリオは無いのか?を探りました。
1つの案は、操業停止せずに、採集した樹液を固体化して保存しておき、工場が再開した時点で売ると言うことです。
将来売る時点で多少の利益が出ますが、仮に来年4月まで従業員を抱えて収入が入って来ないとすると、それまで負担に耐えられません。
2つ目は、近隣のカンボジアの工場は停止してしまったが、農園から8kmにあるベトナムの工場はどうか?
カンボジアの工場は、ベトナム経由でゴムを売るケースが多いので効率が悪く利益が出にくいのですが、ベトナムの工場は操業しているのではないか?
そこで、私は農園マネージャーのC君をべトナム国境に情報収集に行かせることにしました。
農園の方は、情報が集まるまで数日間は固形化ゴムを作って貯蔵する作業をすることにしました。
果たして、ベトナムの工場はいくつも稼働していました。価格も操業停止前のカンボジアの工場以上でした。
しかし、ベトナムに輸出する際に国境で、カンボジア側の役人からかなりの手数料を取られるとのことでした。
何とかならないのか?という時に、耳よりな情報が得られました。
ベトナムの工場が、カンボジアまでゴムの買い出しに来てくれる、値段もまともです。国境の役人に特別なコネがあるようです。
但し、売り方は樹液をそのままではなく、樹液に蟻酸を加えて若干固めた状態にして売ります。
我々は、プチュンバン(カンボジアお盆)明けの10月14日から、このベトナム工場に売ることにしました。
ベトナム工場からの買い付け部隊が、我々の農園にも来てくれました。(下は売るときの重量測定と、それを見る買い付けのおばさん(下の写真右))
これでやっと一安心です。天然ゴム農園の操業を止めずに、毎月ある程度の利益を出して行ける目途が立ったと思われました。
しかし、11月に入ってそれが甘かったことを思い知らされました。
(長くなったので、次回に続きます)
天然ゴム農園もついにストップ!?
2015年11月1日
昨年来何回か天然ゴムの国際価格について記事にしてきました。
2011年初めに天井を付けて以来延々と暴落を続け、今年始めには天井から1/4にまで下がっていました。そろそろ底かというというところで、果たして今年前半の上海株の暴騰(その後暴落)であふれた資金が天然ゴム市場にまで流れ込んで来て、天然ゴム価格も一旦は上昇基調となりました。
ところが、それも束の間、ご案内のように上海株のバブルがはじけると、天然ゴムに流れ込んでいた資金も引き揚げられて、天然ゴムも再び暴落となってしまいました。
(下のシンガポールゴム先物市場のグラフの赤丸部分)
この再暴落で、我々の天然ゴム農園も大きな影響を受けました。
昨年までの暴落で、主産地のタイ、マレーシアでは生産価格を割って生産に支障をきたしていますが、カンボジアは人件費等が極めて低いために黒字の状態でした。
そこで、我々も農園を維持しながら、売値の戻りを待っていましたが、再暴落で異変が起きました。
10月の初めになって、我々が天然ゴムの樹液を売っていた工場が次々と操業を中止したのです。天然ゴムの価格が下がって工場が稼働できない状態になってしまったのです。
思ってもいない事態でした。売り先の工場が無くては、天然ゴムの生産が出来ません。
天然ゴム農園の方は、もう少し価格が下がってもやっていけるので、当面問題ないと思っていたのですが、不意を突かれました。
対応案は以下の2つしかありません。
1つは、タッピング(樹液採集)を続けるが、樹液を乾かして固形化して蓄えておいて、工場の操業が再開されたタイミングで売ることです。(今まではタッピングした直後に液体の状態で工場に持ち込んでいました。)
しかし、工場が再開されても、固形化されたゴムは安い値段でしか売れません。液体に比べて固体化されたゴムは加工しにくいためです。
また、工場がいつ再開されるのかもわからず、再開されるまで売り上げの日銭が入ってこないので、運営が苦しくなります。
もう一つの案は、工場が再開されるまで一旦樹液採取を中止することです。樹液採取を中止してもスタッフがいる限りは、最大のコストである人件費がかかり続けるので、スタッフも削減する必要があります。
しかし、以前の記事にも書きましたが、労働者が賃金の高いタイに流れるために、カンボジアは人手不足で一旦解雇してしまうと、再度スタッフを集めるのは至難の業です。
いずれの案を選ぶにしても、大変厳しい選択になります。
ところで、ここで少し話がそれますが、そもそもなんでこんなに暴落が続くのでしょうか?
一般的な説明では、慢性的な供給過剰基調が続いているため、と言われています。上記の価格グラフのように2009年、2010年に天然ゴム・ブームとなって多くのゴム樹が植えられました。
それから5,6年経ち、植えられたゴム樹が成長して樹液が出るようになり、天然ゴムが一気に増産されてきました。
一方、大消費地の中国の景気が減速して、思うように需要が伸びません。天然ゴムと競合する合成ゴムの原料の石油価格も、ご案内のように低迷しています。
この様な一般的な説明で、下落の背景はわかるのですが、それにしても下がり過ぎです。
というのも、相場の格言では、歴史的に見て大暴落時の最下値は、「半値八掛け二割引」と言われています。
つまり、最高値から32%になる、ということです。
しかし今回は、グラフからも明らかなように25%を下回ってきています。どうも普通の大暴落とは性質が違うようです。
そう言えば、この様なケースが過去にあります。石炭です。戦後石炭から石油への大転換が起こり、石炭価格が暴落を続けて、日本でも殆どの炭鉱が閉鎖されました。
天然ゴムも石炭同様に他のものに取って替られてしまうことを、市場が予見しているのでしょうか?
しかしながら、天然ゴムの需要の8割を占める自動車のタイヤには、現在の技術では天然ゴムが不可欠で、合成ゴムだけでは無理です。
つまり、天然ゴムが不要になることは今後10年単位で無いわけですが、相場の性質がこれまでと大きく変わってきたようです。
これまでの商品相場の前提として、「スーパーサイクル」と言われる、新興国を中心とする需要爆発がありました。しかしここに来て中国をはじめとして急ブレーキが掛かり、商品価格も値動きの全体が下にシフトして来ています。
今回の天然ゴムの大暴落もその流れの一環のように思えます。
さて、話を現実に戻して、我々の天然ゴム農園の身の振り方を決める必要があります。
我々の近くのカンボジアの工場は、ことごとく生産中止になりましたが、我々の農園から8kmにあるベトナムはどうでしょうか?
私は、農園マネージャーのC君を情報収集のためにベトナム国境に送りました。
(長くなったので、次回に続きます)
キャッサバの秋の収穫 (追記あります)
2015年10月25日
いろいろあって2か月ぶりの記事です。
弊社のKratie州のキャッサバ農園では、昨年約250ヘクタール植え付けた内7-8月植え付け分60ヘクタールは、今年2-3月に通常どうりには収穫せず、大きくなるまで約1年収穫を待ちました。
9月3日から収穫を開始し、10月中旬のプチュンバン(カンボジアのお盆)前に完了する予定でした。
やり方は、自分たちでワーカーを使ってイモを掘り出すのではなく、畑に業者に来て掘り出してもらい、1kg幾らというあらかじめ決まった価格で売る方法です。
当然、自分たちで掘るよりもイモの価格は安くなりますが、このやり方では、自分でワーカー調達・管理をする必要がなく、単に監視するだけなので自前の要員も非常に少なくて済みます。
また、農園までトラックでイモを取りに来てくれるので、運送も楽です。
今年2-3月の始めには、自力でイモを掘っていましたが、今回は業者にやってもらった方が利益が多いのでやり方を変えてみた訳です。
ところで、この業者のやり方は、以下のような完全人海戦術です。驚くほど機械を使いません。
下の写真のように茎を切り取ります。
残った下の方の茎を引っ張ってイモを引き出します。 通常はここはトラクターで掘り出すのですが。
茎からイモを1本1本切り取ります。
さすがに1年以上育ているのでイモはかなり大きく、1株2kgから大きいものでは5kgは有ります。
1ヘクタールに1万本植えたすべてがこの大きさならば、単収30トン程度の大豊作となるので、万々歳なのですが、昨年来の欠株や9月の大雨で腐った部分も出てきているので、それほどにはなりません。
さて、9月初に始まった作業は、2週間ほど順調に進みましたが、中旬の大雨でストップしてしまいました。
今年は、エルニーニョ現象で雨が少なかったのですが、9月中旬に思い出したように集中豪雨があったのです。
農園内の道路の丸木橋が上の写真のように流されて、道路が寸断されて作業がストップした訳です。
そして、9月末になってやっと雨が一段落したと思ったら、今度はワーカーが帰ってしまいました。
10月11日からのプチュンバン(カンボジアのお盆)の為に仕事が手に着かないのか、早くも9月30日には全員引き揚げです。
何しろ、ご覧の様に全て人手作業なので、進捗は人が集まるかどうかにかかっているのですが、人がいないのではお手上げです。
特に、今回は業者に頼んでいるので、自分でワーカーをコントロールすることができません。
仕方がないので、我々も道路を修理しながらワーカーの帰りを待ちました。プチュンバンは暦の上では10月11,12,13日の3日間だけですが、ワーカーは19日(月)になって30人ほど帰ってきました。何と3週間近くの休暇です。
その後もワーカーが増え続けて、作業が進んでいますが、終了まで11月一杯かかるかもしれません。
カンボジアの人件費はタイ、マレーシア、ベトナムに比べてずっと安いのですが、このように能率がとんでもなく悪いのです。
さて、今年4-5月に植えたキャッサバは、順調に生育しています。多くは下の写真のように人の背丈を超えてきています。
昨年より株間を詰めたこともありますが、昨年植えた物よりも遥かに葉が密集して見えます。
茎の下の方では、葉を落として来ているものが多くなってきて、体全体の成長から根を太らせる段階に入ってきています。これから来年2月の収穫までイモが肥えて行く訳です。
<追記>
プチュンバン明けの10月19日から再開された収穫ですが、10月末近くに再度中断してしまいました。
上記のように完全人海作戦で収穫していたのですが、「イモを地中から引き抜くのに地面が固くて大変」、ということで、ワーカーが逃げてしまったのです。
確かに、この土地は昨年開拓したばかりで、雨が降って乾くと大変固くなってしまいます。
そこで、イモを掘り起こすのをトラクターの作業に変更しました。下の写真の様にトラクターの後ろに掘り起こす板を付けて走るだけですが、白矢印のように容易にイモが掘れます。
これでワーカーも納得して戻ってきました。元々人力だけで、というのが無理だったと思いますが。
キャッサバの秋の収穫は中々進みません。。
今年のキャッサバは豊作?!
2015年8月13日
昨年植え付けたキャッサバの収穫量は極端に少なかったので、今年3-4月の段階ではキャッサバ・ビジネスをあきらめる寸前まで行きました。
昨年度の低収穫量の原因は、
1.初めて大規模な植付をしたので経験、スキルが不足していこと。
2.大規模な農園の個々の部分をタイムリーに世話が出来なかった。特に雑草の対応が後手に回った。
3.雨季の連日の大雨による水害と害虫被害という自然災害が重なった。
この状況を立て直すために、今年は植付・育成方法を全面的に見直し、且つ作付面積を縮小して全体に手が回るようにしました。 無論昨年の結果から、水害を受ける場所や土壌の悪い場所もよくわかりましたので、良い場所のみを選んで植え付けました。
自分たちの実力を思い知ったので、一旦身の丈に合わせて規模を縮小し、必勝を期した訳です。
昨年は、4月初旬に雨季の開始を告げる雨が降ったので植付を開始しましたが、害虫被害等で植付作業が遅れ、そのうち6月に入ると連日の大雨でトラクターもスリップして動かなくなり更に遅れました。
そのうちに、残りの植付予定地が水没したので、パワーショベルを買って排水路を延べ数キロ堀り、8月初旬にやっと植え付けを終わりました。ところが、その間に100ヘクタール以上のエリアで雑草がはびこりキャッサバの背丈を超えて日光を遮ったために、成長が遅れました。
また、害虫被害のお蔭で苗を植えても枯れるケースが続出したが、再植え付けの為の工数が割けず、再植え付けが2か月も遅れ、おまけに再植え付け時に肥料を与えなかったために、大幅に収量を減らしてしまいました。
一方、今年はエルニーニョ現象の為に、雨季最初の雨は4月25日と、昨年より3週間近く遅れて、植付開始もその分遅れましたが、害虫コントロールが上手く行ったことと、何より面積を縮小したこともあって、何とか5月中に植付を終えることができました。
また、雑草も小さいうちにセレクティブ(キャッサバにはあまり影響せず、雑草のみに作用する)除草剤で大半を制圧することができてきました。
その結果、今年のキャッサバの生育状況は、去年と格段の違いで良くなりました。(下は最近の様子)
4月末から5月初めに植えた株は、既に人の背丈並になっています。昨年は人の背丈を越えてきたのは、雨季の終わり11月頃でしたし、その時でも大きくならない株も一定割合ありました。
また、今年は昨年に比べて茎が太く、葉が大きい、また葉や枝の数も格段に多いので、こんもりと茂った感じに見えます。
広い範囲を見渡すと以下の様です。
遠景を見てわかるのは、今年は株の大きさにバラつきが少ないことです。そのため遠景のキャッサバの様子が滑らかに見えます。昨年は株ごとに相当大小の違いがあって、凸凹に見えました。
全体の90%はこんな感じですが、一部エルニーニョ現象で雨が少なかったために、植付後10日も雨が無く枯れてしまって、再植え付けした株もあります。
昨年は再植え付け株の育ちが極端に悪かったので、今年の再植え付けも心配したのですが、枯れた2週間後にタイムリーに再植え付けしたこともあって、追いついてきました。
下の写真の白矢印は再植え付けた株です。周りに比べて明らかに葉が小さいのでわかりますが、大分追いついてきました。
植付後3か月で追肥や再植え付けも終わり、最初のヤマを越えました。あとは、毎日雑草、病害虫のコントロールをしながらイモの肥大を待つことになります。
しかし、安心もしてもいられません。エルニーニョ現象の為に、昨年より極端に雨が少なく、旱魃も想定されるからです。
隣国のタイでは広範囲に旱魃が起こり、米の凶作が伝えられています。来年2月まで気の抜けない毎日が続きます。
生姜栽培を始めました。Part2【最後に追記しました】
2015年8月6日
前回の続きです。弊社のカンポット州の農園では、今年から20年の経験を持つエキスパートの技術指導を得て生姜栽培を始めました。
3月後半から植付を開始しましたが、1か月たっても発芽してきません。通常は3週間から1か月で発芽なので、少し焦ってきました。
発芽遅れの原因は、前回の記事のように、土壌の保水力の不足で種生姜に十分な水分が行き渡らないことだと分かったので、毎日井戸から大量の水をくみ上げて与え続けました。
その結果、5週間過ぎからポツリポツリと芽が出始めました。(下の写真の白矢印が生姜の芽。)
その後も毎日水を撒き続けたのですが、1か月半たっても一部の領域は発芽してきません。やはり発芽していない領域は、土の保水力が低いようです。掘ってみると多くは地中で芽を出し始めていますが、まだ地表に到達していません。下の写真のように腐ってしまったものもあります。
それでも、水不足にならないように、来る日も来る日も1日中水を与え続けました。
果たして、2か月経つと腐って発芽しない場所を除いては芽が出そろってきました!
しかし、やはり発芽遅れの為に成長が遅れています。そこで、カンフル剤として液体肥料を与えました。(下の写真)
カンフル剤は、1週間おきに3回です。その成果がでたのでしょう、最近は大分大きくなってきました。(下の写真)
下は、掘ってみたところ。新しい根が育ってきています。
植付以来かなり苦労しましたが、やっと十分に成長してきました。これから追肥や草取りをしながら収穫まで3-4か月です。今後どこまで大きくなるのか、今から収穫が楽しみです。
<追記>
前回の記事にコメントで指摘を頂きましたが、堆肥を使った土作りは生姜の場合にも非常に有効です。
しかし、前回の記事にも書いたように、発芽のためには適切な温度と水のみが必要で、土壌の栄養分は関係ありません。何故なら、一旦発芽し根が出るまでは土の養分が吸えないからです。
今回は、土壌の保水力が低いために、水分が種生姜の全体に行き渡らない状態のために、発芽が遅れました。
ただ、今回1か月を過ぎて発芽していない株を掘ってみると、大半は土の中で芽が出てきていました。芽は出たがそれが伸びて地上に到達していない状態だったのです。
この場合、当然地中で根も出始めていますので、成長速度は土壌の栄養分の影響を受けることになります。従って、地中で芽や根が出始めてまだ地上に到達しない段階では、良い土の方が早く地上に芽が出ることになります。
今回生姜を植えた場所は、林を開拓したばかりのところで、土の栄養状態は必ずしも良いとは言えません。一般に開墾して2年目以降の方が作物が良くできると言われてもいます。
ただ、開墾したばかりの土地でも、作物を植える前に長期間土作りを行えば、結果は見違えるほど違うとも言われていますので、やはり事前の堆肥等での土作りは重要です。
弊社のカンポット州の農園では、今回何とか生姜が出来ることが分かったので、次回は4-5倍に規模を拡大することにしました。
そこで、次回は今回の反省も踏まえて、事前の土作りを植付の半年前の今から行います。
実際には、開墾後もみ殻の燻炭や米ぬかを土に混ぜて、雑草やソルガム等を生やして行くと言うやり方を考えています。
やはり、毎回工夫して改善を積み重ねていくことが重要だと思います。