2014年4月27日
前々回に引き続き、カンボジア=現代のニューフロンティア論です。
前々回の記事では、資本主義世界の中心(の一部)である日本と、ニューフロンティア(新辺境)のカンボジアを対比しました。
資本主義世界の中心(の一部)の日本では、すでに経済が成長して必要なものは揃ってしまい、従って幾ら頑張って働いても、ものが売れずに国内で企業が成長できず、従って給料も上がらないという状態です。
成長の伸びしろが無いために、日本人は夢を持てず、社会の閉塞感が広がってしまっています。
既にある事業の仕事にしても、売れないなかで何とか必死に売らなければならないので競争も苛烈です。しかしそんなに激しく競争のために働いても中々満足の行く成果は得られません。
また、新しく事業を起こすとしても、既に生活に必要なものが行き渡っているためにそれほど高い利益を得られません。
反対に、資本主義世界の辺境のカンボジアでは、まだものが不足しているために投資機会が多く、ある程度の資金を出してものを作ればそんなに激しく競争しなくとも売れるわけです。
従って、頑張って働いてものを作れば働きに応じて売れる、という社会です。
日本は少子高齢化社会に突入して年間1%ずつ人口が減少し、需要が伸びる余地もありません。
一方、カンボジアは平均年齢20歳代で年間3%ずつ人口が増加していますので、24年間で人口が2倍になります。人口増加に伴って今後益々需要が伸びて行くわけで、日本と異なり成長の余地が大きいので閉塞感もありません。
そこに、私がニューフロンティアであるカンボジアに夢や働き甲斐を見出す由縁があるのです。
国際金融を文明史論的な視野から見た著作で知られる(ウィキペディア)経済学者、水野和夫氏の著書「世界史の中の資本主義」では、16世紀以降21世紀までの間を歴史的に見ても、資本主義世界の中心部では、やがて成長の余地がなくなり、利益の上がる投資先が無くなってしまう。
そこで、余った資本は投資先を求めて辺境に流れ出すという内容が書かれています。
本書29ページからの引用です。
「資本主義においては、高い利潤を求める資本が、野心ある人々にリスクをとっての冒険を促し、彼ら冒険者が辺境を開拓し、そこを市場の内部に取り込んでいくことで、社会全体が活性化し、安定する。」
私は、50歳を過ぎての「冒険者」ですが、皆さんも一緒にカンボジアで冒険してみませんか?