黒生姜(ブラックジンジャー)の植付が終わりました。企業秘密を公開!?

 Cedar Farmの今シーズンの黒生姜(ブラックジンジャー)の植付が何とか終わりました。

 2016年に原産地と気候・土壌が酷似した、カンボジアのポーサット州でテスト栽培を始めて以来、5シーズン目の植付です。(写真は、‘種イモ’と植付作業風景)

 黒生姜(ブラックジンジャー)は生姜やウコンの仲間ですが、生姜やウコンと比べて非常に病気に弱く、すぐに死んでしまいます。

 通常は、人や動物が病原菌を運んで来ない山奥の人里離れた場所で栽培されます。

 代々黒生姜を栽培してきた村でさえ、年によってはかなりの病気が発生します。

 近年需要の高まりに応じて、原産地近くでもいくつかの事業者が栽培にチャレンジしてきましたが、何年も全滅を繰り返したりして、中々うまく行きませんでした。

 私が2016年にポーサット州でテスト栽培した時も、半分は病気が出ました。

 その後色々工夫して、ポーサット州でうまく行くようになった後は、胡椒農園近くのカンポット州でも大規模栽培に挑戦しました。

 山奥のポーサット州には行くだけで片道2日かかってしまいます。実際2016年9月20日にTV放映された「こんなところに日本人」でこのテスト栽培中の様子が紹介されましたが、見て頂くと「辿り着くだけでもやっとだ」と実感できます。

 そこで、私がほぼ毎日現地に入れる胡椒農園近くでも栽培を開始したわけです。

 そうは言ってもカンポット州での栽培の困難は、山奥とは比較になりません。

 原産地の農民からは「絶対に無理だからやめろ」と言われました。海岸近くのカンポット州では山奥とは気候・土壌その他の条件がまるで違うためです。

 また、本家の原産地では、化成肥料や農薬も使用していますが、私は完全有機栽培にこだわっているので、本家よりも難しいかもしれません。

 ノウハウの一端をお話ししますと、一番の問題は雨期に根腐れ病が出るので、それをいかにして防ぐかです。

 根腐れ病の原因は、病原カビ類が根を溶かして穴を開け、その穴からカビや細菌が侵入して病気になってしまいます。

 黒生姜は根の皮が薄くて弱いためか、根の防御機能が弱いためか、ウコンや生姜に問題がでない土でも簡単に根腐れしてしまうのです。

 病原のカビ類の増殖を防ぐ方法の1つは、土壌にカビ類の天敵を増やすことですが、うちでは天敵の放線菌類を増やすカニ殻を大量に使っています。

 何とか病原カビ類の天敵を増やす手はないかと、調べていた時にカニ殻、エビ殻を与えると(他の条件も揃うと)放線菌類が増えて病原も減るということがわかりましたが、肥料として買うと非常に高くてペイしません。

 ある晩、ふと、「そういえば、農園近くのケップ海岸のカニ市場のレストランで大量にカニを食べているなあ。食べたあとに殻をもらえないかな?」と思いつきました。

 結局、このカニ市場のカニ殻を大量に入手できることになり、自作の機械で粉にひいて使っています。まさに「灯台下暗し」ですね。(写真はカニ殻粉砕機)

パリのカンポットペッパー

 欧米、特にフランスではカンポットペッパーは胡椒のトップブランドです。

 これは、カンポットペッパーの歴史にも関係があります。

<カンポットペッパーが欧米でトップブランドになった経緯>

 1887年にフランス領インドシナが成立し、カンボジア、ベトナム、ラオスはフランスの植民地になりました。

 フランスは、胡椒原産地のイギリス植民地のインドやマレーシアに対抗して、20世紀に入るとカンボジアやベトナムで盛んに胡椒を栽培しました。そのため、フランスで使われる胡椒はカンボジア、ベトナム産が主流になり、また他のヨーロッパ諸国にも大いに輸出しました。

 1960年代のカンボジアの胡椒の総生産量は、約1.5万トンで、現在の日本の胡椒の年間消費量の約2倍にもなります。

 カンボジア、ベトナムで栽培される胡椒のうち、カンボジアのカンポット州産の胡椒は、「カンポットペッパー」と呼ばれ、その特別の味と香りにより最高級品としてパリの高級レストランで使われていました。

 これが、カンポットペッパーが、フランスをはじめとする欧米でトップブランドとなった経緯です。

<内戦による荒廃と復活>

 ところがその後、1975年のポルポトによるカンボジア支配が始まり、虐殺や極端な共産化政策により、カンポット州をはじめ、カンボジア全土の胡椒生産は壊滅してしまいました。

 例えば、弊社のケップ州(元のカンポット州ケップ郡)の農園もポルポトの内戦前は、フランス人経営の胡椒農園だったとのことですが、2013年に私が再開するときには深いジャングルになっていました。

 このあたりはすごい田舎で、今は牧歌的な景色が広がっていますが、実際に戦闘の舞台になっていたという話が伝わっています。

 平成3年(1991年)のパリ和平協定により、やっと内戦が収まり、1990年代後半には、生き残っていた現地の人々により、胡椒の生産が再開されたが、その時には既に、「カンボジア産高級胡椒」というブランドは、過去のものとなっていました。

その後の努力により、2008年(平成20年)にはWTOのGI(地理的表示)を取得して世界的な地域ブランドとして認められ、参入し生産が拡大しつつあります。

(GIとは世界貿易機関(WTO)協定に基づく一種の知的財産。製法や品質基準などを満たした特定産地の農水産物に、産地名を付けてブランド化し、他の農産物との差別化を図る。ワインの「ボルドー」がその一例。)

 前のブログでも述べましたが、TIME誌(2012年1月16日号)はカンポットペッパーの復活を祝って「普通の胡椒はテーブルワイン、カンポットペッパーは上質のボルドーワイン(ファイン・ボルドー)」と。書いています。

<現在のパリのカンポットペッパー>

 現在もパリではカンポットペッパーはトップブランドで、高級スパイス専門店でも高値で売られています。

 特に、フランス植民地時代にフランス人が発見した、カンポットペッパー特有の「赤胡椒」は、Poivre Kampot rouge と呼ばれ、その独特の旨味の為に最高値で販売されています。

(以下は、パリの高級スパイス専門店のインタネット販売ページの抜粋)

Epices Roellinger】

Albert Menes】

Sur Les Quais】

カンポットペッパー 有機JAS認証の難しさ

 前回、有機JAS認証取得の経緯をお話ししました。審査を受けるための資料作りや現地審査の苦労談でしたが、本当の難しさは、有機栽培そのものにあります。

<「有機」・「オーガニック」の定義>

 日本で「有機」や「オーガニック」を名乗るには、農水省の有機JAS認証が必要ですが、認証されてJASマークの付けられる「有機」・「オーガニック」の定義は、

・胡椒など多年草は3年間、作付け前に畑に農薬・化学肥料を使わない

・栽培中も農薬・化学肥料を使わない

・遺伝子組み換え種子を使わない

・病害虫の駆除に農薬を使わない

など、厳しい基準があります。

この基準を守っているかどうかを、認定機関が生産行程記録や現地を毎年審査して確認します。

<安心・安全な有機栽培が広がらない原因>

 日本でも海外でも、多くの農家が身体や環境に影響があると言われている農薬や化学肥料を使って栽培しています。

 「有機栽培」は農薬(除草剤や殺虫剤など)や安い化学肥料が使えない為、除草や害虫駆除などの人件費が余計にかかってどうしてもコスト高になり、経営が難しい。

 現在、有機JAS認定されている農産物は日本全体の0.2%と言われています。

<有機栽培カンポットペッパーの難しさ>

 カンポットペッパーの場合、実は更に難しさがあります。

  • クメール種

 カンポットペッパーは、カンボジアに特有の味の良いクメール種を限定栽培しています。

 ところがクメール種は、他のインド種やマレー種に比べて、成長が遅い、病害虫に弱い、収量が少ないという欠点があります。良いのは味と香りだけです。

 特に病害虫に弱いことは、農家にとって致命的に近いですが、例えばスコールが続いて数日水に浸かったりすると、すぐに根腐れ病が出てきます。

 それを防ぐために、排水溝を沢山掘って排水に努めたり、良い微生物の多い土づくりをして病原菌の増殖を防いだりと、大変に手間がかかります。

 Cedar Farmでも、良い土づくりの為に、牛糞堆肥、ゴム葉の堆肥、カニ殻などの有機肥料に取り組んでいます。

 葉を食べる害虫には、殺虫剤を使えないので、クレンスレングという毒の木の実やタバコなどを使って虫よけの散布剤を作りますが、殺虫剤のようには簡単には効きません。

ミニパワーショベルで排水溝を掘る 良い土づくりの為の牛糞堆肥
  • カンボジアの気候

 熱帯で雨期には豊富な雨が降り、強烈な日光に恵まれているので、雑草が見る見るうちに育ってしまいます。日本の数倍の雑草の成長速度です。ところが、除草剤が使えないので、除草は全て手作業になり、日本の有機栽培以上に大きな工数がかかります。

人手による除草作業の様子 手作業での選別

 上の写真のように選別作業もすべて人手ですから、カンポットペッパー栽培には、膨大な人手がかかり、人件費の安いカンボジアでなければとてもできません。

 このように多くの労働力をかけて病害虫と戦いながら、味と香りの良いクメール種の胡椒を、安心・安全のために有機栽培しているのが、カンポットペッパーです。

カンポットペッパーと黒生姜の有機JAS認証取得の経緯

 海外で農園などをやっていると、どこで見つけて頂いたのか、農水省から海外農業事業者向けのセミナーや視察旅行の案内などをメールでいただくようになりました。

 2018年の農水省メールの中に有機JAS認証取得費用の補助金の案内があったので、お金が出るならと割と気軽に応募してみました。色々やり取りした結果採択になったので、真剣に取り組まざるを得ない状況になってしまいました。

 カンボジアの農園まで来て現地審査してもらえる認定機関なんてあるのかな? と探したところ、1件福岡市の認定機関で海外審査していただけるとのことだったので、お願いをしました。

 審査料金を前払した後、認定機関さんの方から、現地審査前に大量の資料作成をするよう指示が来ました。

 質・量共に大変な内容なので半分後悔しましたが、後の祭り。大枚の審査費用を無駄にできないし、農水省の手前もありますので、作るしかありません。

(資料の例)

農園地図 概要図と詳細地図(隣との境界含めてメートル単位のサイズ付き) 全農地、倉庫、作業場
生産行程管理記録 耕作、播種、除草、施肥、収穫等の作業日付、数量、使用した農機具記録。全部の農地について4年以上分を整理。
農機具洗浄記録 鋤、シャベル、籠、はしご、各種作業機械、等々全部です。
種、肥料の入手記録、肥料の有機証明を取得。…等々

 2018年12月、2019年1月は、昼間農園で汗を流してから毎晩眠気と戦いながら、過去の記録をひっくり返しながら資料作成です。何しろ現地の日本人は私1人ですので、半分泣き!という感じで、折角作った資料を認定機関に送ると、ダメ出しの嵐で心折れそうになります。

 何とか資料の形を付けて、2月初旬に福岡から審査員さんを首都のプノンペン空港に出迎えました。夕刻にプノンペンからカンポット州まで約150kmをタクシーで戻ろうとしましたが、旧正月休みでタクシーがいない! 仕方がないので、普通は数km程度しか乗らないトゥクトゥクを無理やり雇って150km走破しました。オープンカー状態なので、到着時には道路の土埃で全身ドロドロです。

 翌日から、農地や加工場などの現地審査です。事前に提出した地図を手に土地の形、サイズ、農園内部の状況、隣との境界でドリフトがないか、農具は事前申請通りか、等々を1週間かけて細かくチェックされました。連日35℃以上の暑さの為、真冬の日本から来た審査員さんもグッタリ。

 やはりというか、事前作成の地図が不充分だったので、現場で大汗をカキながら数百メートルの距離を何度も測り直して修正作業です。

 最後にやっと有機JAS行程管理者用の講習も終わり、これで終了!と ヌカ喜びしたところで宿題が出ました。農園で使っている井戸水が「飲料適」である証明がないとダメとのこと。

 審査員さんを日本にお帰しした後、「カンボジアで水質検査してくれる検査機関なんてあるのかな?」と思いながらも、プノンペンの端まで行って探し出して、何とか検査を終わらせました。

 結局、2019年3月初旬にやっと有機JAS認証書が届きました。

 そのあとに農水省の補助金申請ですが、独特の申請書の書き方に苦戦して2回差し戻しの末、最後は先方があきらめて、1行ずつ書き方を教えて頂きました。

 このように紆余曲折ありましたが、カンポットペッパー協会に確認したところ、カンポットペッパー農園で最初の有機JAS認証とのことです。

 何事も最初にやるのは大変ですね。

カンポットペッパーは今収穫の最盛期です。

 カンポットペッパーは、例年3月から5月の乾季の真最中が収穫時期です。

 前年の天候によって胡椒の実が熟す時期が数か月ずれる年もありますが、今年は3月中旬から十分に熟して例年通りに収穫が始まりました。

 3月には地元のカンポット州、ケップ州でも新型コロナの感染者が出始めたため、日雇いワーカーも大量に雇って特に収穫作業を急ぎました。病気が蔓延して作業が止まると、熟した胡椒の実が木から落ちて無駄になってしまうので、熟した実をタイムリーに摘んでしまう必要があるからです。

 収穫の手順は以下のとおりです。

  • 手で熟した房を摘み取る。熟した房のみを摘み取り、未熟なものは熟すまで待ち、2巡目の収穫作業で摘み取ります。

  • 同じ房に赤、黄色・橙色、緑の実が付いているので、赤と黄色・橙色の実を1粒ずつ手作業で取り外して分ける。赤の実はカンポットペッパー特有の赤胡椒に、黄色・橙色の実は皮を剥いて白胡椒にそれぞれします。
  • 房に残った緑の実を足で踏んだり、分離機を使ったりして房から外す。これは黒胡椒になります。(下は分離機の様子)
  • 赤、緑の実は一旦煮て天日乾燥させます。黄色・橙色の実は煮た後皮を剥いてやはり天日乾燥させます。雨が降って十分乾燥できない場合は、乾燥機で乾燥させます。
  • 十分乾燥した実は、更に1粒ずつ手作業で1級から3級に選別します。十分な大きさ、色、形、香りをもつものだけを1級品として、「カンポットペッパー」のブランドで出荷します。選別中には、時々農協にあたるカンポットペッパー協会の会長も、自らうちの農園に顔を出して正しく選別が行われているかチェックします。

 幸いなことに、新型コロナで中断も無く一巡目の収穫が4月一杯で終わりました。今後2巡目の収穫作業に入っていきます。

カンボジアも非常事態

新型コロナウイルスで日本も危機に直面していますが、カンボジアも非常事態です。

3月30日には、事実上の国境封鎖で外人の入国ができなくなりました。

カンボジアの生活必需品の多くが、隣国のタイ、ベトナムからきていますが、荷動きが悪くなり、生活用品が高騰しています。

海外へのフライトも大半キャンセルとなり、日本に帰れるほぼ唯一のANA便も数が激減してチケットが高騰したため、多くの邦人が帰国を断念しました。

海外フライトがほぼ無くなったため航空貨物も飛べず、弊社が予定していた航空便(郵便のEMS)での出荷がストップして、船便に切り替えました。

このため、日本のお客様へのお届けが大幅に遅れています。

更に4月10日零時から、16日24時まで,プノンペン都と他州間の移動,州内の市,郡等の行政区画内の移動を禁止(一部例外条件あり)する政府命令が出ました。

これは、例年この時期にカンボジア正月で多くの人の帰省による大移動が起こりますが、それによるコロナウイルスの拡散・感染爆発を防ぐ狙いです。

それにしても、カンボジア人たちは何があっても年2回のカンボジア正月とカンボジアお盆には、仕事を放り出して帰省していましたから、前代未聞の事態と言わざるを得ません。

カンポットペッパー協会の年次総会に出席しました!

 弊社は、カンポットペッパー協会(Kampot Pepper Promotion Associatin)に所属しています。この協会は地元の胡椒農園の作る組合ですが、日本の農協のような機能を果たしています。

 特長は、

 1.‘Kampot Pepper‘という地域ブランドを持っているが、特に欧米では高級ブランドとして有名で、この協会に所属していないと、このブランドを名乗れない。

 2.協会員は、胡椒栽培方法に付いては、協会のガイドラインに従う必要があり、ガイドラインには100年以上前からの有機栽培の方法が定められている。即ち、協会員は厳密な意味で有機栽培を行っている。

 3.協会は、毎年胡椒の買取価格を決めて、協会員の農園から胡椒を買い取って、欧米からのバイヤーに売る。この買取価格が‘カンポットペッパー‘の標準価格となる。

 欧米での、‘Kampot Pepper`ブランドの人気は絶大で、TIME誌(2012年1月16日号)では、「普通の胡椒はテーブルワイン、カンポットペッパーは(ファイン)ボルドーワイン」とそのブランドを評しています。

 さて、カンポットペッパー協会の年次総会は、先週金曜日の朝8時から始まりました。

 最初に、ムンライ会長の挨拶や州の農業局のお偉方の挨拶がありました。(下はお偉方の写真)

(ムンライ会長と)

 次に、2009年度からの協会の拡大の歩みが紹介されました。会員数、植え付け面積、売り上げ等がすごい勢いで拡大の一途です。

 上の写真が今回発表された、その拡大を表す数値です。
 各列は、左から、年度、会員数、参加バイヤー数(欧米からの胡椒バイヤー)、植え付けられた添え木数、その内の収穫できる添え木数、植え付け面積、収穫高、協会が認めた収穫高、協会の手数料です。

 2009年には、会員数が113だったのに対し、2015年には倍増しています。また、作付面積は同じ期間で10倍にもなっています。
 会員数が2倍で、作付面積が10倍ということは、この期間で面積が大きな農園が増えてきたことを示しています。当初は0.5ヘクタールにも満たない小規模農家が100件ほどで始まりましたが、後に外国人や大資本を中心に数ヘクタール単位の大きなものが増えてきました。

 実際我々の近くの農園は、最近フランス人、ドイツ人、中国人の農園が増えてきました。もちろん我々日本人の農園も5-6軒あります。
 カンボジア人の資本家では、昨年前農林水産大臣のチャンサルン氏の20ヘクタールの農園も開業しています。

 なぜこれほど大きな農園が増えているかと言うと、この5年間ずっとカンポットペッパーブランドの胡椒の価格が急騰していることが主な理由です。
 欧米でブランド力の為に、欧米からのバイヤーが殺到してきており、昨年は協会経由では30トンしか出荷できなかったのに、バイヤーの買取要求は300トン来たそうです。需要に対して10%しか供給できない訳です。

 従って、価格もこの4年間で4倍にも値上がりしています。そこで、参入が相次いでいますが、植えてから3年目にならないと収穫できないし、そこからも年数が経たないと収穫量も増えないので、今後5年間程度はこんな状態が続く公算です。

 さて、この協会の実績発表の後には選挙です。まず、バイヤー代表を選びます。欧米バイヤーの代表も協会に所属して、品質向上や価格についてのバイヤー側からの意見を述べます。

 上の写真は、開票風景です。協会発足当時からのバイヤー会員2社が圧倒的多数で再選されました。
 これらのバイヤーは、‘カンポットペッパー‘ブランドを広めるために大きな役割を果たしてきました。
 このようにバイヤーを会員に迎えて、協力して行くのもユニークで優れたアイデアだと思います。

 その後は、カンポット州の各郡の代表選挙と、宴会になりました。

 カンポットペッパー協会は、カンボジアで唯一の成功している農業生産者の協同組合です。日本のNGOが必死になって農協をカンボジアに作ろうとしていますが、全く上手く行っていません。
 その中で、この協会は異色の存在です。

 各農園が、ブランドによる高価格保証というメリットによってガッチリ結びついているわけですが、それ以外にもバイヤー会員を迎えて意見を求め、かつブランドを宣伝してもらう等、協会の成功の秘訣の一端を見た気がしました。弊社も、今後協会の一員として、有機栽培を進めて行きたいと考えています。

胡椒の有機栽培にこだわるわけ

 これまで、何回も書いてきましたように、弊社はカンボジア南西部のケップ特別市とカンポット州で完全有機栽培の‘カンポット・ペッパー‘を栽培しています。

 実はカンボジアの胡椒の産地は、我々の南西部カンポット州周辺の他に、東北部コンポンチャム州メモット郡があります。
南西部カンポット州では有機栽培が主ですが、東北部コンポンチャム州では化学肥料をふんだんに使った栽培法を取っています。

 カンボジアの胡椒の2大産地では、このように正反対の栽培法を取っていますが、近年どちらも急速に栽培面積と売り上げを伸ばしてきています。
従って、商売としてはどちらのやり方が良いとは一概には言えません。

 私自身は南西部での有機栽培にこだわっていますが、その理由は大きく2点あります。
 ・第1は、生産者としては自分が食べたい食品を提供したいこと。
 ・第2は、商売としても有機栽培のカンポット・ペッパーに大きな可能性があること 

 第1の点ですが、私が‘カンポット・ペッパー‘の黒コショウを、最初に食べた時のショックはまだ鮮明に記憶しています。今まで 50年間以上食べてきた普通の日本の胡椒とは、全く別の強い味と香りがあって、胡椒を使う意味が初めて分かったのです。

 これまでの胡椒は、多少刺激を感じるだけだったので、食品にかけてもかけなくても正直同じで、胡椒なんてなくても良いと思っていました。これは多くの日本の方も似たような感覚だと思います。
 しかし、カンポット・ペッパーをかけると、食品の味が大きく引き立つので、胡椒の存在価値がやっとわかりました。

 そこで、私は自分が生産するときには、有っても無くても同じようなものを作るのでは意味が無い、存在価値があるものを作りたいと考え、カンポット・ペッパー作りに挑戦しました。

 実際、化学肥料や農薬を使うと、味や風味に大きな影響が出ることが知られています。
 化学肥料・農薬販売会社では、味や風味への影響を軽微にする肥料の栄養素N(窒素),P(リン酸),K(カリ)の使用割合の指導を農家に対して行っています。

 しかし、どんなに工夫しても、化学肥料を使うと味・風味に影響がでてしまい、‘カンポット・ペッパー‘と同じものはできません。
 また、言うまでもないですが、自分が食べたい安心・安全な食品を他の人にも提供したいのは当たり前です。

 上はカンポット・ペッパーの乾燥中の黒コショウ

 第2の、商売として有機栽培は成り立つのか、利益はでるのかという点です。
 先ず、売り上げ高=収穫量x販売価格 ですから、収穫量と販売価格に分けて考えてみます。

 確かに収穫量は、化学肥料と農薬をふんだんに使った栽培法に分があります。化学肥料と農薬は20世紀農業が劇的に収穫を増やした「緑の革命」の主役ですから、収穫量を高めるための近代兵器です。

 一方の、‘カンポット・ペッパー‘の有機農法は、100年前からの伝統農法を基にしているので、収穫量では分が悪い訳です。
 実際、‘カンポット・ペッパー‘が最盛期に ヘクタール当たり4トン程度と言われていますが、化学肥料・農薬では  4 – 8トンまで可能とも言われています。やり方によっては、‘カンポット・ペッパー‘ の2倍近くの収穫量になります。

 次に販売価格ですが、‘カンポット・ペッパー‘は特有のブランドを持っていて、特に欧米から大量の引き合いが来ているために、カンボジアの地元で売る場合普通の胡椒の 2 – 2.5倍の価格で取引されます。

 これまでの話でお分かりのように、‘カンポット・ペッパー‘は収穫量は化学肥料・農薬農法の1/2になる可能性がありますが、販売価格は 2 – 2.5倍となるので、売り上げ高は1/2倍 x 2 – 2.5倍となりほぼイーブンか少し多めになります。

 利益は、売り上げ-費用ですから、費用を比べるとやはり農薬を大量に使う方が、除草剤を使えず人手で除草する有機栽培よりも有利です。
 しかし、ここはカンボジアで人件費が極端に低いので、人件費の点でも有機栽培はそれほど不利にはなりません。下は、有機栽培の人手による除草の様子

 以上のように、有機栽培は商売の観点でも、化学肥料・農薬農法に引けをとりません。
逆に、昨今は先進国だけでなく、中国や開発途上国でも安心・安全な食品を求める消費者が増えてきており、その動きは今後ますます高まります。

 そこで、‘カンポット・ペッパー‘は今後欧米だけではなく、中国やアセアン諸国へも需要が拡大していく可能性を秘めています。

 日本においては、‘カンポット・ペッパー‘はまだほとんど知られていませんが、取扱う販売会社も徐々に増えてきており、弊社も日本向けに商品を提供し、拡大を図っています。
 今後の大きな展開が期待でき、夢が広がります。

カンポットペッパーのご紹介

 弊社の胡椒農園もそうですが、カンポット州と南隣のケップ特別市の100件ほどの有機栽培農家で、カンポット・ペッパー協会(Kampot Pepper Promotion Assosiation)という団体を組織しています。
 この団体が有機栽培のガイドラインを定めており、そのガイドラインを順守したと認められた農園が、「カンポット・ペッパー(Kampot pepper)」のブランドを使うことを許されています。

 このように、「カンポット・ペッパー」とは、カンポット・ペッパー協会が認めた有機栽培の胡椒ですが、以下のような特長があります。

1.世界最高級の味と風味

 胡椒を大量に使い、胡椒の品質にこだわる欧米の声を代表するTIME誌も、2012年1月16日号で以下のように述べています。 
「普通の胡椒はテーブル・ワイン。カンポット・ペッパーは良質のボルドー・ワイン」

 確かに、食べていただければ一目瞭然ですが、フルーティな味とはっきりとした風味に特徴があります。
 欧米の一流フレンチ・レストランで使われており、欧米からの需要が高まっています。
 実際、昨年カンポット・ペッパー協会経由で輸出された胡椒はわずか 30トンでしたが、欧米に輸出する仲買商達からカンポット・ペッパー協会へ、その10倍の300トンの注文が殺到しました。

 この味と風味の理由は、完全有機栽培であると言うこともありますが、栽培されるカンポット州とケップ特別市の気候風土と、独特の赤黄色でミネラルを多く含む土壌によります。

2.完全有機栽培

 前々回の記事でも書きましたように、化学肥料や農薬を一切使いません。一般に化学肥料を使うと胡椒の風味に悪影響があると言われていますが、カンポット・ペッパーにはその様なことは一切ありません。
 また、消費者や生産農家への健康被害を心配する必要もありません。 

 カンポット・ペッパー協会の有機栽培ガイドラインは、100年前からの伝統農法をベースにしているので、肥料や害虫対策も全て自然のものを使っています。

 また、有機栽培については、有機認証の世界標準と言われているフランスのエコサート(ECO CERT)も取得しています。実は日本のJAS有機認証も、このエコサートを基にしています。
 下の写真、左がカンポット・ペッパーのトレードマーク。右はエコサートのマーク

3.栄光と荒廃、そして復活の歴史

 カンポット・ペッパーは、フランス植民地下で19世紀後半から栽培され、20世紀初頭には年間 8,000トンも生産されていました。これらは主にフランスに運ばれ、欧米の一流レストランで使われていました。

 ところが、1970年代のポルポト時代からの30年間の内戦で、胡椒栽培もできなくなり、カンポットの農園も荒れ果てました。内戦の終結後1990年代の後半から栽培農家がぽつぽつと戻り始め、代々伝わる伝統農法で胡椒栽培を再開し始めました。

 21世紀になってから本格的に胡椒農園が増え始め、2006年には100件ほどの農園でカンポット・ペッパー協会が組織され、欧米への輸出の基盤ができました。

 ここ数年で、カンポット・ペッパー協会経由の欧米への輸出が年々倍々の勢いで増加してきています。
 それに伴い、欧米でもカンポット・ペッパーが本格的に復活してきたことが知れて、需要も高まってきています。

 また、一昨年から日本勢もカンポット・ペッパーに着目し始め、ケップ特別市では 5-6 件の農園が作られています。下は、弊社のケップ特別市の農園

 高まる需要に対応して、カンポット・ペッパー協会の農園からの買取価格も年々上がり、この5年間で4倍に跳ね上がってきました。普通の胡椒の2倍の価格となっています。

 このように、カンポット・ペッパーは、一旦はポルポト時代に荒廃の底に沈みましたが、21世紀に復活を始めて、これから増々生産、売り上げを拡大して行くことになります。

胡椒の苗の新規植え付けが終わりました!

 前回の記事では、弊社の Kep 特別市の胡椒農園で胡椒が実を付け始めたことをお伝えしました。
 今年は、新たにこの Kep の胡椒農園で2ha、カンポット州の新農園で2haの胡椒の苗を植え付けました。
 胡椒は植え付け後18-20か月で最初の収穫を迎え、その後25年程度連続して毎年収穫ができます。

 胡椒は挿し木で殖えるので、植えて1年経った胡椒の枝を切って苗にします。
通常は、離れた別の農園から苗を持ってくるので、運ぶ間に水分が失われてしまいます。そこで、運んで来たらすぐに水に浸して1晩置き、水分を補ってから植え付けるのです。

 この運んでいる間に水分が失われることの為に、植え付け後の苗の生存率が大きく左右されます。弊社は Kep の近隣の農園から苗を提供してもらっていますが、やはり Kep の農園は近いだけに植え付け後の生存率が高く、カンポットの新農園は距離があるので生存率が落ちてきます。

 苗は、下の写真のように、添え木にくっつくように2本の苗を横にして植えます。1本の苗に2本の枝があります。

 勿論、植える場所には肥料を混ぜておきます。この後、丁度根の真上の部分に水と肥料の円形の受け皿を作って、水を与えます。(下の写真)

 結構見事な足技で、水をやりながら円形の受皿の形を整えて行きます。
 この後、植えた苗が生き延びるか否かは、根が出るかどうかにかかっています。無事に根が出て文字どうり根付けば新しい環境で生き延びることができます。下の写真は新しく根が出てきたところです。

 このように無事に根が出ない場合は、全体が黒くなって死んでしまいます。下の写真の苗のうちの1本は死んでしまいました。

 どんな場合でも、5%前後は根付かずに死ぬものが出てきます。死んだ苗は新しいものに植え替えます。そのために下の写真のようにリザーブを用意しておきます。このリザーブの苗は切り取って農園に運んだ後、リザーブ用の場所に一旦植えてあります。

 これらのリザーブ達は既に根を出しているので、植え替えても生存率は100%になります。
さて、9月初旬に植えた苗から新芽が伸びてきました。

 この芽を添え木に巻き付けると、新しい胡椒の木の幹になります。この芽が1年後には3mの天井まで到達します。その時が今から楽しみです。